
こーちと生活を始めて10年目になりました。実家にいる時、私の一存では飼えなかった動物達。
ここに登場するのは忘れられない私たちの家族です。
生活が始まる前に、こーちの横にはすでに花梨がいたけれど、「動物家族」への野望が
ふつふつと湧いてくる日々。「いろんな子供達と暮らしたい!」その夢を叶え、いつも愛らしい仕草で我々を
支えてくれた素敵な素敵な天使達なのです。
お家に来た日:95年7月8日−96年11月17日没(4月生:1歳7ヶ月)
・NIFTYの里親募集から出会う。
「ハムは男の子がおっとりしていて良い」との話を小耳に挟み、男の子を希望。
うーちはそれまで「水戸黄門」で「風車の弥七」を「弥吉」だと固く信じていた。
ひょんな事からその話題となり、こーちと討論する。その時期、たまたま我が家に
来たので当然の様に「弥吉」と命名。
来た当初からかなり太り気味。幼少時ゴールデンを飼ったのみのささやかな知識を
基にハムスターの勉強を始める。
毎日ケージを囓り「出せ!」攻撃をする。
ある日脂肪のかたまりを発見。病院へ。
当時はまだこれほどのハムスターブームではなかったので、診てくれる病院も
少なかった。少し切開し、絞り出して貰う。
里親さん宅でひまわりの種が主食になっていたのが災いしたらしい。
そんなこんなで病院に通うこと数回。
そのストレスから人の手を嫌うようになり、ストレスはげも・・・
この時点で、我が家では小動物は極力病院に連れていかない、という暗黙の了解
が出来る。結局脂肪腫がガン化。
会社から帰ってきたら天使になっていた。
ペット禁止のマンションにいたので、埋める場所がない。
散々探して非常階段の下の土に埋めることにした。
| <ジャンガリアン(キャンベル)ハムスター> 八兵衛(オス) |
お家に来た日:96年6月22日−98年3月8日没(5月生:1歳10ヶ月)
・弥吉によってハムスターに目覚めた我々は、二匹目を探す。
彼もまたNIFTYの里親募集で、お宅まで取りに伺った。
「ジャンガリアン」という話であったが、実際はキャンベルの様に凶暴。
最初はとにかくよく噛んだ。
「これはジャンガルじゃない。キャンベルだ!」ってな訳でキャンベルに決まる(?)
しかし、大人になってからのハチはとても良い子で人に絶対の信頼をおいていた。
ケージの天井に上るのが得意で脱走も数回。朝起きるといなくなっているので、
片っ端から探し回り、最後は花梨の口の中まで開けて見た事も。
「やんちゃ坊主」という言葉がピッタリのかわいい子だった。
花梨の猫パンチをくらっても平気でのそのそ歩いているような度胸もあった。
晩年は最悪な状態。全身に癌が転移し、見ているのも辛い程のボロボロに。
賛否両論あるだろうが、それでも弥吉の教訓から病院には行かなかった。
とにかく栄養のつくものと、好物で一日でも長く、と祈る。
休日、外出から戻ってくると冷たくなっていた。眠ってそのまま起きなかったよ
うなとても安らかな状態だったので一安心。
彼もまた、弥吉の隣に埋めた。大家さん、ごめんなさい・・・
| <ジャンガリアンハムスター/スノーホワイト> とと吉(オス) |
お家に来た日:97年6月14日−98年10月没(5月生:1歳6ヶ月)
・うーちが憧れた白いジャンガリアン。彼もNIFTY里親コーナーから。
里親さんはハムマニアでマンション内の一室をハム部屋にしている程の数を飼っ
ていた。ハチが死んだ後「ハムスターはもう可哀想で飼えない・・・」という
気持ちがあったが、
空のケージを見ているととても寂しい。
おまけにショップでは数千円で売られている、あまり里親募集にでてこない
「スノーホワイト」の誘惑に負け、うちの子に。
貰いに行った時、すでに噛まれた。今までの子の中で一番気性が荒い。
唯一病気らしい病気もせず、「老衰」と思われる綺麗な最後だった。
うーちの心残りは「弱ってる」という感じがしなかった為、
死の前日にすらケージを覗かなかったこと。
非常に筋肉質の良い体をしていたので病気にもならなかったのだろうか。
一軒家に引っ越しをしたので、ようやく庭に埋められる。
彼のお墓参りだけは徒歩10歩で出来るのだ。
お家に来た日:98年4月4日−00年4月18日没(?月生:2年?ヶ月)
・給料日後、そして気持ちが大きくなっている時にペットショップに行ってはならない。
「Gハム特別セール!!880円」なんて魅力的なフレーズを見過ごすことが出来なくな
るからだ。
そんな状況で「一番元気な子を」と探し始める買う気満々の我々がいた・・・
正直ドワハムの可愛さを思うとGハムはちょっとネズミっぽさが強調されてるし、柄も
茶白いパンダって感じ。あまり欲しいとは思わなかった。
でも見てたらやっぱり買っていた。それも引っ越し2週間前を切っていて非常に
バタバタしていたのに。。。
あまり食に興味がないから人にもなつかない。でもどんな扱いにも絶対に噛まなかった。
代々のハム歴の中、初めての女の子。キュートな魅力で虜になる。
いつも元気で猫’sの興味津々熱視線にも負けず、ハムボールでお散歩する様子は
本当にかわいかった。
が、2歳記念日を目前に子宮蓄膿症という手術以外の完治方法はない病気になって
しまう。出血だけは我々の力でどうすることも出来ないとの判断から我が家の掟を破り
病院へ。
やはり病院のストレスはかなり大きく、通院しだしてみるみる元気がなくなっていった。
最後は皮膚病も併発した為、腕の化膿、背骨の湾曲、口元の腫れ、全身の脱毛。
目をそらさずにはいられない姿に何度も涙が出る。
抗生剤で出血は止まったが、皮膚を掻き崩してしまい悪化。
会社から戻ると給水器にたどり着く前に力尽きた格好でうずくまっていた。
すでに呼吸も浅い。こーちが口に水を垂らすと喜んで飲む。
それから4時間。再び掌に乗せ、撫でているうちにゆっくり旅立っていった。
息を引き取る瞬間に立ち会ってしまったのはあくびが初めて。
苦しくて切なくてそれでも、脳裏に焼き付いて離れない場面だった。
翌日、とと吉の近くに大好きだったペレットと共に埋める。
お家に来た日:99年1月30日−99年5月21日没(9月生:8ヶ月)
・彼の存在が私にとってどれだけ大きかったか、某猫雑誌を読んでくださった方々は
ご存じだと思います。
駆来が死んだ時「FIPで」というおおよその事しかHP上には書きませんでした。という
より書けませんでした。思い出しては泣き、何も考えられなくなってしまう状態が続いて
いたから。
HPも駆来の画像を見るのが辛くて2ヶ月近くお休みしました。
雑誌に載った記事は人に読んでもらう為ではなく、どこにぶつけていいのかわからない
感情を持て余してしまった時に書いたもので、今読むととても感傷的で恥ずかしいです。
それでも掲載された事で、たくさんの反響がありました。
雑誌を読んで編集部宛に手紙を送ってくれたAさん。
また、編集部の方からも愛猫を同じFIPで亡くしたとの手紙をいただきました。
今でも時々HPをご覧くださった方から「駆来ちゃんのお母さんだったんですね」という
メールをもらいます。
たった8ヶ月の命だったけど、今では駆来のいなくなってしまった時間の方が長くなって
しまったけれど、たくさんの方にあの子を知ってもらった。
駆来の頑張りを誉めてくださった多くの方、そして何もできなかった私を暖かく励まして
くださった皆さんに心から感謝します。
「たかが猫を亡くしたくらいで」と言われた落ち込みに皆さんの暖かい気持ちが染みわた
りました。
5月で一年を迎える前にようやくきちんと書けるかな、と思いこのお部屋を作ります。
今、同じFIPの問題を抱える方の参考や、励ましになれたらいいな、と思います。
・FIP(猫伝染性腹膜炎)、そして駆来のこと。
お家に来た日:03年12月28日−04年7月21日没
・最初にペットショップでフグを見たのはかれこれ4年ほど前か。
可愛い!とは思うものの、元来の不精者うーちにはとてもじゃないが海水のお手入れは無理
だと諦めていた、こーちから思いがけないクリスマスプレゼントで貰った
フグ飼育スターターキット。
フグと言えばやっぱりアンディというコテコテのネーミングを与え、
餌をあげるときはいつも頭の中に Queenの「We Will Rock You 」を鳴り響かせるワタシ。
(故アンディフグのK-1入場テーマ曲でした)
慣れない水替えにも全身の色を変化させて危険を教えてくれた(いや、本能なんだが)
狭いスターターキットの水槽では2匹飼いは絶対に無理、という情報を得ても既にどうしようも
なく、それでもこれだけ長生きしてくれた。これはホントに自慢していいハズ。
最後はフグ吉との縄張り争い、猛暑の影響で水温の上昇と過酷なフグ生ではあったが、
可愛く間抜けなお顔で楽しませてくれて有難う。
丸々と肥えていたのに最後はゲッソリしてしまい、海水の浮力で体が持ち上がってしまう程だった。
夜、こっそり夜に近くの親水公園近くに埋めに行った。
今度は広い場所で思う存分泳ぎ回れますように。